朝日新聞の連載に寄せてもらいました

2022/12/07の朝日新聞夕刊、カメラマンの伊藤菜々子さんの連載「瞬間(とき)のカケラ」に、いつも身につけている紙のピアスのエピソードと共に、参加させていただきました。脇には大好きなトレイ屋さんのコースターもきらりと。

取材はこれまでの経緯をざっくりと話したのですが、話ながら自分の思考整理もできて。
今まで、仕事も人生も大きなものから小さなものまで、いろんな選択をしてきて。
「これいけるんかな?」「際どいけどいっちゃおう」「日本の商習慣的にはちょっとした傷とかアウトだけど、そのゾーンをあえていくところにもっと三方に良い未来があるし、その個性を持ったものに愛着が湧く」みたいな話をずっとしていた気がします。
そしたら「抗っているんですね」と言われ、「そうなのか、そうかも!」とめっちゃ腑に落ちて。世の中から見たら取るに足らない小さな抗いだけど、なんかずっとその境界線を探ってきたなぁと。

だからこそ、このくたくたになった紙ピアスを誇らしく思えてきて。
同じシリーズで、フィレンツェの紙屋さんのピアスを商品として並べてるんですが、「私も身につけてますよ」と、イメージしやすいようにお客さんに見てもらうこともあって。
その際、こんだけくたくただと、汚れが目についたりしてマイナスイメージかな、と思ったりしたこともあるんですが、これを機に、やっぱりこの良さを広めるべきだと確信に変わりました。
三年間、ほぼ毎日着けてきた紙ピアス。
汗水垂らしてきた、自分の記録は自分そのもののようで。
やっぱり、自分が身につけてきたからこその時間の経過、これを愛でられる人の方が、私は好きだから。

新品、若さ、そういう良さは絶対あるけど、時と経験を積んできた、人間味ある人の方が芯から美しいと私は思う。
それは、シワやシミも勲章と捉え、おっぱいが垂れても体型が大きくなっても、ビキニを身につけ、颯爽とビーチを闊歩、男とのアモーレをスパイスに生きるイタリアのおばちゃんたちのかっこよさにも通じるから。

そんなことを考えた、ここ数日。
ギュッとまとめてくれた文章には、紙屋の店主だけでなく菜々子さんからのエールもひしと感じました。

今日、たまたま出勤したら伏見ビルオーナーさんが駆け込んできて。
「真悠子さんじゃない!と思って!!」新聞をわざわざお家から持ってきてくれました。
やっと手に取った紙面。新聞をめくった時にはたと目に止まる、その喜びってやっぱりいいなぁ。
菜々子さんの私と店への思いやりがこもったアングル、配置、文章。
紙面だからこそより際立つ簡潔なよさ。グッとと来ました。

来年の目標は、どっかで連載を持つこと!!!

と、ここに宣言します。
公言しとけば、いつか叶う、そんな気がして。

Grazie mille Nanako-san

それと、いの一番でお知らせしてくれた母ようこさん、スキャンして日付と見出し加工して送ってくれた父てっちゃんもありがとう。

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